史跡 具志川城跡

昭和47年5月15日 国指定

この城は、弾劾の付け根のところに城門があり、そこから一段下って二の丸、さらに一段下って本丸が海に突き出ています。石垣は珊瑚性石灰岩の野面積みですが、門の部分には、切石を用いた痕跡が残っています。城の規模は、長さが東西に82〜3メートル、南北の巾は二の丸で33メートル、本丸で16〜7メートルです。二の丸には穴(俗に「火吹きの穴」)があって海に通じています。
 久米島の伝説によれば、この城は久米島の具志川城主真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)按司の二男真仁古樽(まにくたろ)に攻められて落城し、島を脱出して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれています。その真偽は不明ですが双方の立地や規模、構造はよく似ています。

沖縄県教育委員会

昭和53年3月31日

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